蓄音器の調べにのせて 大阪ゆかりの文学作家が愛した
“昭和歌謡と映画音楽”
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コロンビアラッパ型 (1910年(明治43)頃 英国製) |
卓上型 ビクトローラVV1-90 (1927年昭和2)頃 米国製日本組立) |
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ポータブル型 HMV No.102 (1930年(昭和5)頃 英国製) |
蓄音機ポータブル型 日本ビクター Hi-Fi Stereo Audiola 真空管式電気蓄音機 (1960年(昭和35)頃) |
大阪にゆかりのある文学作家がこよなく愛した音楽を
当時の蓄音器できいてみます。
SPレコードの懐かしく、哀愁あふれた音色は
その小説の心を解き明かしてくれます。
文学作家と愛した曲
川口 松太郎(明治32年~昭和60年):「愛染かつら」
上原 謙 田中絹代 |
明治32年東京浅草に生まれる。大正12年関東大震災後、大阪のプラトン社に勤め、直木三十五と共に雑誌「苦楽」の編集にあたる。代表作「愛染かつら」は昭和13年に映画化された。 |
小野十三(明治36年~平成8年):「枯葉」「愛の賛歌」
織田 作之助(大正2年~昭和22年):「ラ・クンパルシータ」「ダイナ」
大阪の街を行く織田作之助 |
織田作之助は自ら「軽音楽の大家」を自称していたが、サラサーテの「ツィゴイネルヴァイセン」やショパンの「雨だれ」などを好んで聴き、又、ディックミネの「ダイナ」や「上海リル」などを自ら歌っていた。自ら詠んだ俳句に”木犀(モクセイ)の雨をクンパルシータの女行く”があります。 |
田辺聖子(昭和3年~):「センチメンタル・ジャーニー」
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昭和3年大阪市此花区の田辺写真館の長女として誕生。樟蔭女子専門学校に進み文芸部に入る。昭和39年大阪弁の恋愛小説「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)」で第50会芥川賞を受賞。 |
開高健(昭和5年~平成元年):「巴里の屋根の下」
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昭和5年天王寺区東平野町に生まれ、3歳で現・東住吉区北田辺に転居。親友、矢沢永一は、「回想開高健」で昭和25年にレコード「シャンソン ド パリ」がどうしても欲しいという開高とともに、松虫のレコード屋で買ったことを回想している。開高はそれが擦り切れるまで聴いていたという。 |
小松左京(昭和6年~平成23年):「銀座カンカン娘」
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昭和6年西区京町堀で生まれる、1970年大阪万博、1990年花と緑の万博をプロデュースし、「日本沈没」「首都喪失」などの話題作を残す。晩年体調を崩し、箕面の病院に入院。様態が急変し、家族を加えて親しい知人も駆け付けた。死去直前に集まった全員と「銀座カンカン娘」を合唱。左京は声を振り絞るように口を動かし、ベットを囲んだ十数人の顔を一人一人見つめて「ありがとう」と感謝をつげたという。 |
「映画音楽」
モロッコ、会議は踊る、第三の男、旅愁、
ライムライト、 風と共に去りぬ、慕情、他
心にしみいる名曲をみなさまの リクエストによりお聴き頂きます。
皆で歌うコーナー:
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藤山一郎:青い山脈 | 霧島昇 渡邊はま子: 蘇州夜曲 |
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灰田勝彦:新雪 | 美ち奴: ああそれなのに |
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神楽坂浮子: 道頓堀行進曲 |
案内人 オダサク倶楽部 織田草之助(高橋 俊郎)
皆さまもぜひご参加下さい。
高橋 俊郎 氏のプロフィル
元大阪市立中央図書館副館長
大阪文学振興会総務委員
オダサク倶楽部副代表
大阪春秋編集委員
実施日 | 平成27年3月7日(土) 午後13:30~15:30 |
募集人員 | 定員72名 |
参加費 | 500円 |
持参品 | |
締切 | 平成27年3月4日(水) |
申込方法 | 電話・FAXまたは来館願います。 |
講師 | 大阪文学振興会総務委員 オダサク倶楽部副代表 高橋 俊郎 |
お問い合わせは会館へ 連絡先 TEL 06-6699-1100 FAX 06-6697-8080